
「session」という言葉を聞くと、まず思い浮かぶのはミュージシャンが集まり即興的に演奏する Jam sessionのイメージだろうか。
互いに息を合わせて、相手のリズムを感じて その場の空気感をMIXして音を紡ぐ。
何だかプロっぽい雰囲気で、聞いている私たちも心地いい。
今日は 久しぶりに “LITTLE OKAWOOD” でのレッスンを試みた。
試みた というのも 今イメージしているフラワーアレンジレッスンの形を実現可能なものにすべくモニターという形でご協力いただいたレッスンだった。
参加してくれたのは、 いつきちゃんとめいちゃん。
とそれぞれのアシスタントとして大人の方2名。リアル(対面)でのレッスンと
同時中継でネットで繋いでweb上でもレッスンできないだろうか?という試み。


いつきちゃんは小学校低学年、めいちゃんは年中さんという受講者最年少記録を更新してくれた今回。当然、課題は色々と見えてきたけれど、それだけに収穫という感覚も大きい。
今回も 見本となるサンプルはあえて作らなかった。 幼いお子様だから見本を真似て作ってもらう方が分かりやすいのでは?という「正しさ」はそれほど重要ではない。
むしろ、何もないところから手探りで 段々こうなっていくのかも!という発見していくワクワクを感じて欲しかった。「自由にしていいよ」は実はちょっと怖くて勇気がいるもの。大人になればなるほど これまでの「例」や「正解」に頼りたくなるものだから。
めいちゃんは まだ自由のその怖さを知らないようで、それまで「こうしましょう!」と指図していた私が「この花は 自由にどこに挿してもいいよ」と伝えると 大人たちから見ると大胆に或は何にも意図せず挿してくれた。
「何も意図せず挿す」のは 大人にとっては難しいだろうと思う。良い作品に仕上げたいという欲があるから。間違いたくないという恐怖心も顔を覗かせるから。
でも 例えばミュージシャンがそれぞれの音楽性を認め合いその場のノリでセッションを楽しむように、筋書きのない一発勝負はスリルが伴うけれど 生まれた音楽に正解も不正解もないようにフラワーアレンジメントだってそういう世界があってもいいと思う。
その花と出会うのは 今世これで最初で最後。 いつも一期一会です。だから、自分が思うままに感じたままにアレンジしてみることも大切なことの様に感じます。そして、即興すればするほど、日頃の基礎の練習が必要だと知るのです。 自分が思うような形を表現する為には無意識に近い感覚でその花をそこに挿すという瞬時の判断力が必要になるでしょう。
花は生き物 根を絶たれた瞬間からどんどん鮮度は劣化し、死に近づきます。
だからこそ、託された命を最大限生かす 私たちの準備が必要です。 真剣勝負。
私はめいちゃんよりほんの少し その真剣勝負のセッションをした回数が多いので
めいちゃんの大胆さを少し中和してみようと お手伝いしてみました。
一人で独奏するアレンジもオリジナリティがあって素敵だけど、2人3人と誰かと共に連弾するアレンジは一人で創るアレンジとは違った多様性があり とても興味深い世界でした。
私は 「言葉以外の方法で誰かとコミュニケーションを取れるツール」として花を捉えています。
あらゆる世代・性別を超え、言語も人種も宗教も関係なく伝え合うことが 可能な世界
人と共に作る作品は 少し不自由で思い通りにいかないことも多々あるでしょうが
その不自由さを乗り越え 相手の価値観を受容できた時、素晴らしいセッションの達成感を共有できるでしょう。そんな体験をたくさんの方々へお伝えしていきたいと思っています。
もうしばらくお待ちください。 あなたと共に セッションできる日を楽しみに準備を進めます。

